JBBY希望プロジェクト・学びの会報告(2021/12/11)

「本来の『学び』とは何か
 ――デジタル化が進む学校現場から、子どもたちの未来を考える」
 講師:久保敬さん(大阪市立木川南小学校長)

 国の方針のもと、小中学校でもデジタル化が急速に進み、日本中でオンライン授業が本格的に始まろうとしています。希望プロジェクトでは、子どもたちの抱える様々な困難について学んできましたが、今回は子どもたちが直面している学校の「今」を理解するために、大阪市の松井一郎市長宛てに提言書を送った久保敬さんを講師にお迎えしました。現役の校長である久保さんが、なぜ行政に対して声をあげたか。背景にある思いをうかがいました。

 久保さんが提言書(➡PDF)を書いたきっかけは、昨年4月、松井市長が「市内の全小中学校で全面オンライン授業を行う」との方針を、TVの記者会見で発表したことでした。学校現場は混乱を極めました。自校でもオンライン授業を試み、これは子どもたち(特に一年生)にとってかなりの負担を強いるものだと感じていたところだったのです。いったい、なんのため、誰のための教育なのか。学びの主体としての子どもたちが尊重されていないのではないか。教育の独立性を損なわれたことの憤りから、「公教育はどうあるべきか」という根本的な問いを発しました。提言書を出した理由には、20年ほど前から国の打ち出す教育の方向性に違和感を覚えつつ、やり過ごしてきた自分への怒りもあったそうです。

 教員として歩み始めたときに解放教育に出合い、久保さんは多様な視点で見ることの大切さを学びました。人間の価値も、生きる意味もそれぞれでいい。ありのままの自分を大切に共に生きることに意味があるのだと、人権教育に取り組みました。いっぽうで子どもを取り巻く環境は変わり、大量生産、大量消費の資本主義経済のなか、「今だけ、金だけ、自分だけ」という社会になってきている。そんな社会の歪みと教育現場はつながっていて、「学校だけではなく、社会が変わっていかないと子どもたちの幸せを考えるのは難しい」と、思うようになったのです。

 「子どもの最善の利益、子どもが権利の主体」という理念に基づく「子どもの権利条約」にも触れ、「大人が決めたゴールにむかって、子どもは一生懸命やってくれている。けれども、大人は本当に子どもの声を聴いているのか」と、自身への反省も含めて久保さんは問いかけます。そして教育学者大田堯氏の考え(子どもは一人ひとり違う存在である、関わり合いの中で生きている、自ら変わる力を持っている)をもとに、学校教育への再考をうながします。週5日制になったあと逆にゆとりがなくなって、テストテスト、学力学力になっていること、子どもが自分で間違いに気づくのを待つ時間が取れなくなっていること。「生き抜く」ではなく、「生き合う」社会を考えるべきでないか。それが難しいのは、子どもの問題ではなく、社会構造や、社会を覆う価値観の問題だと指摘して、話をさらに進めました。

 「個の尊重、個に応じた指導、多様なニーズに対応する」という国の方針のもと、能力主義の価値観を、教師が内在化させてしまったこの20年間を久保さんは苦い思いでふりかえります。習熟度別学習も最初は疑問を感じたが、人手不足に悩む現場に教員の加配もあって、次第に効果的と思いはじめた。しかし結果として子どもたちに「自分はできない子」だという諦めを定着させてしまったかもしれない。特別支援教育も、一人ひとりに対して作成した支援計画に沿って進めることで、教育の個別化というか、分断を生むことになった……。本来、「個の尊重」とはかけがえのない人間一人ひとりの在り方を認める言葉だったはずなのに。そしてGIGAスクール構想に警鐘を鳴らす『デジタル・ファシズム―日本の資産と主権が消える』(堤未果著、NHK出版新書)を紹介したあと、日本の学校ではすでにパソコンの一人1台構想が実現していること、OECD(経済協力開発機構)のなかで推進されるグローバル教育の功罪、経済産業省が導入を唱道している「エドテック」についても話されました。IT機器を入れるなら、その活用は学校の主体性にゆだねてほしいと久保さんは訴えます。文部科学省の進める「個別最適化」が進むと、能力主義がさらに強化され、AIが子どもたちの能力を評価しつづける時代が来るのではないか。デジタル教科書が教える時代になると、画一的な教育はできるだろう。だが、人と人との深い関わり合いなしで人が育つのだろうか――聞いている私たちも、疑問が深まるばかりでした。

しあわせのいす「パラダイス」

 政治が教育の方向を決める時代だからこそ、教育の独立性を訴えたい。何か変だと思ったら、素直に声に出すことを子どもたちに伝えたい。久保さんは提言書という形で、今回、それを実践して見せたのでした。同時に、「ぼく自身この状況を楽しまないといけないと思っています」と語られたところに、朗らかな強さを感じました。最後に、学校の子どもたちと色を塗って、「パラダイス」という名のベンチを作ったときのエピソードを披露。「みんなで作り上げた物には終わりがない」「めざすは、世界にひとつだけの“ふつう”の学校です」と、笑顔で講演を締めくくりました。

 その後は、久保さんと絵本作家の長野ヒデ子さんとの対談の時間です。久保さんと親交の深い長野さんは「勇気をふるって声をあげた“久保ちゃん”を、絵本作家や弁護士さんをはじめ、周囲の人みんなが様々な形で応援しているんですよ」と、語ってくださいました。

 Q&Aの時間にも活発なやりとりがあり、久保さんは「ぼくもオンラインが全部だめといっているわけではなく、対面の良さも取り入れながらやる方法もあると思う。ただその使い方は学校に任せてもらってもよいのでは」と、講演の内容を補足されました。

 お話を聴きながら、『子ども時代に、久保さんのような先生と出会いたかった!』と、私はずっと感じていました。だからこそ「年間何万人もの人が自殺をしている社会へ子どもを送り出している自分は、戦前の教師と変わらないのではないか」という実感のこもったつぶやきを重く受け止めています。大人の責任として、本当の学びとは何か、公教育はそれを実践できる場になっているのか、目を開き、情報を集め、共に問い続けていきたいと思うのです。押し寄せるオンライン化の波のなかで、この春、定年を迎える久保さんが現場を離れた後も、「ここにいる、そのこと自体が大事にされる学校を」という言葉が、子どもたちを守る防波堤になってほしいと、強く願っています。   

  報告:野坂悦子

久保 敬(くぼ・たかし)

大阪市立木川南小学校校長。
本年5月、競争主義、能力主義にまどわされない、子どもがのびのびと学べる学校をとり戻すべく、実名で大阪市長へ提言書を提出。そこで言及した学校の本来あるべき姿と勇気ある行動に、全国が共感した。

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