JBBY希望プロジェクト・学びの会報告(2020/2/15)

「ふくしまっこ リフレッシュ in 世田谷――放射線被害から 子どもを守るために 私たちにできること」

講師 星野弥生 氏(福島の子どもたちとともに・世田谷の会 代表)

 2月15日(土)、出版クラブビルにおいて、本年度4回目の学びの会が開催されました。東日本大震災と原発事故に伴う被災地支援の活動は、希望プロジェクトが始まる前からJBBYが取り組んできたことです。2017年度にも<学びの会>で、福島大学の筒井雄二先生に関連のお話を伺いました。

 今年度も被災地、ことに福島のことを考える機会を持ちたいとか考えていたところ、今回「福島の子どもたちとともに・世田谷の会」代表の星野弥生さんのお話をいただくことができました。星野さんのグループは、東日本大震災の翌年の2012年から、毎年春休みや冬休みに、3~5泊で福島の子どもたちとその家族を世田谷に招待する、リフレッシュのプログラムを実施しています。

 星野さんのお話は、そもそもなぜ「子ども」のことに関わるようになったのかということから始まりました。その原点となったのは、「ベンポスタ子ども共和国」。ベンポスタ共和国は正式な国ではなく、スペインのガリシア地方オレンセにシルバ神父が作った共同体ですが、1989年にそのドキュメンタリー映画の翻訳をして「強いものは下に、弱いものは上に、子どもはてっぺんに」というその考えに出会ったそうです。日本ではどうだろうかという思いをいだき、その後子どもをいじめから守っていこうという思いで「世田谷いのちのネットワーク」を立ち上げ、子どもの声を聞く「チャイルドライン」を全国に先駆けて開始するに至ります。

 それは、親、教師、行政すべての、子どもに関心を持つ大人の輪を地域で広げていく活動でした。その人脈が、その後の活動にすべて生かされていったそうです。

 そして、2011年に福島の原発事故が起こってしまいました。福島の状況を知り、電力の利用者である東京の人間に何ができるかと考え、星野さんは2012年1月7日に「福島の子どもたちとともに・世田谷の会」を立ち上げます。お金も手段もない、あるのは熱意だけの出発だったとのこと。

 区に相談に行ったところ、後援ではなく共催として区の宿泊施設を使用できることになり、区内の福祉団体の協力で募金活動も行われ、リフレッシュプログラムが始まったそうです。星野さんのその粘り強い勢力的な活動には圧倒されることばかりでした。

 実際のリフレッシュプログラムの様子は、パワーポイントで画像とともに紹介していただきました。1回に30組ほどの親子を募り、抽選で参加者が決まるそうですが、羽根木プレーパークで、最初は落ち葉や桜の花びらもおずおずと触っているが、やがてのびのびと遊びだす子どもたち、それを見てホッとする親たちのようす、また福島は大丈夫という声が広がるなか、不安の声をあげにくくなり孤立してしまっている親どうしの仲間づくりの必要性、小児科医による甲状腺の検査など、その活動から見えてきたことを話してくださいました。

 福島のことを忘れさせようという動きがあるなか、世田谷区内では若い親たちの団体が活発に活動し、大学生のボランティアや映画館などによる協力の輪が広がっているそうです。

 ベラルーシは年間22日の保養を政府が保証しているそうです。福島の問題は終わっていない。現在も保養を続けている他の団体との交流も始まっているそうです。世田谷の活動は被災の規模からすれば雀の涙のようなものだが、これからも「リフレッシュ」であり「リメンバー」である活動を続けていきたいとのことでした。

 お話の後の質疑応答で会場から、被災地の子どもに発達性トラウマ障害や、被災後生まれの子どもにはアタッチメント障害が増えているという事例があるとの報告があるとの言及もあり、改めて福島のことを考える時間となりました。

「福島の子どもたちとともに・世田谷の会」https://savefukukids.jimdofree.com
 寄付を随時受け付けています。

                                報告・宇野

➡その他の報告はこちら