【報告】第5回JBBY子どもの本の翻訳フォーラム「昔話を訳す楽しみ」

報告

 2023年1月29日、第5回子どもの本の翻訳フォーラム「昔話を訳す楽しみ」が、オンラインで開催されました。パネリストは愛甲恵子さん(ペルシャ語翻訳家)、かみやにじさん(韓国語翻訳家)、木村有子さん(チェコ語翻訳家)、さくまゆみこさん(英語翻訳家)、柴なほさん(ハンガリー文学研究者)、長野徹さん(イタリア語翻訳家)の6名。コーディネーターの元岩波書店編集者、堀内まゆみさんとともに、200人近い参加者が世界を旅しました。

 第1部、最初の旅先はイランです。『ごきぶりねえさんどこいくの?』を翻訳された愛甲さんによると、主人公の「ごきぶりねえさん」は、イランではとても有名なキャラクターで、本だけではなく、演劇、映画、テレビなど様々な媒体に登場しているそうです。翻訳にあたっては、ペルシャ語のリズムと、「ごきぶり」ということばが読者に必要以上のインパクトを与えないようにすることに気を使ったとおっしゃっていました。

 次はイタリア。イタリアの昔話は、細部はちがっても、同じ作品と思われるものが各地方にあるということです。昔話には「多様性」と「普遍性」という大事なふたつの側面があり、伝播、あるいは同時発生したのかは定かではないが、国や民族、文化、言語を超えた人類共通の財産であること。相互の文化の共通性や特徴を理解し、他者への共感を育むことに資するという長野さんお話に、画面のこちら側で深くうなずきました。

 次はチェコ。小学生時代をチェコで過ごしたという木村さん。チェコ人にとっては昔話がとても身近で、毎年のようにぶ厚い昔話集が出版されて、子どものクリスマスプレゼントになることも多いそうです。昔話集収家のエルベンとニェムツォヴァーはチェコ人の宝とも呼ばれ、作品は学校での必読書にもなっているとのことでした。

 次はハンガリー、柴さんのご案内です。昔話の語り手は、かつてのオーストリア=ハンガリー二重君主国内のトランシルヴァニア地方を中心に広がっていて、主要な語り手に、エスニック・グループのセーケイ人がいるということでした。19世紀末に全国的に昔話の収集が行われましたが、出版事情で、本になっていないものもたくさんあるそうです。

 韓国では、昔話は「むかしむかしトラがタバコを吸っていたときのお話だよ」という決まり文句ではじまるそうです。ユーラシア大陸を横断して昔話が口伝えされたため、ケルト神話、インド説話、グリム童話などに類似の話が多くあると、かみやさんはおっしゃっていました。20世紀初めに、語りの文化の消失を防ぐために書きとめられ、教科書に載っているものも多いということです。

 最後の旅先はアフリカです。アフリカには54の国があり、文化も言語も多様です。無文字社会のため、お話は文字ではなく、声で記録されてきたそうです。西アフリカでは、グリオと呼ばれる職業的な語り部が図書館のかわりに人々に物語を広め、家庭ではおばあさんが子どもたちに語り伝えてきたと、さくまさんが説明して下さいました。

第2部は、パネリストのみなさんが意見交換をしました。シンデレラのお話は、ディテールの異なる類話がそれぞれの国にあることがわかり、盛りあがりました。主人公が男の子の場合もあるなど、バリエーションが豊富なので、読み比べると面白そうです。類話が自然発生したのか伝播したのかを突き止めるのはむずかしいけれど、それぞれの国の人々の感性にアピールしたものが残ったのではないかということになりました。

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第3部は質問コーナーです。昔話によく出てくる動物を挙げてくださいという質問への答えに、ハンガリーは牧畜国家だから家畜のお話が多く、アフリカは家畜以外の野生動物が多いとか、韓国はトラの話が多いけれど、イタリアにはトラが出てこないなど、それぞれのお国柄が表れて、興味深かったです。昔話を翻訳するにあたり、気をつけていることについては、みなさん、声に出して読んで、リズムを確かめるとおっしゃっていました。

パネリストによる原文の朗読もあり、ぜいたくな2時間半でした。昔話にはそれぞれの国の地理的、歴史的背景が色濃く映し出されていて、それを読み解くことがいろいろな理解につながっていくのだと気づかされました。まだまだ訳されていない話がたくさんあるとのことですので、どんどん翻訳されてほしいものです。

報告:大友香奈子(翻訳家)

質問と回答

フォーラム当日に時間の関係でとりあげられなかった質問について、パネリストの方々にご回答いただきました。(質問はチャットにお書きいただいたままの文章で掲載しております)

【愛甲恵子氏】

ごきぶりねえさんのお話では、結局ねずみも、やわらかいしっぽでだけどごきぶりをたたく、と答えます。その内容で今の日本の子どもたちに届けてもいいものかどうか、出版社側は変えてほしいなどと要望がありませんでしたか?

パワーポイントの書き方が中途半端で申し訳ありませんでした。口頭では申し上げたのですが、ネズミは、「自分のしっぽでなでるよ」あるいは「アイライナーをひくよ」と答えます。なのでやはりネズミは特別ですね。
なお、わたしが翻訳した『ごきぶりねえさんどこいくの?』では、喧嘩の際何で叩く?というくだりはないので、出版にあたって特に問題は起こりませんでした。松岡享子さんが訳された「ちっちゃなゴキブリのべっぴんさん」の際にどうだったかはわかりませんが、上記のようにねずみは叩きませんので、特段問題視されなかったのではないかと推測します。

ペルシャ語のリズムの難しさと素敵さのお話がありましたが、昔話によく見られる特定の韻律のような、抑揚のようなものはあるのでしょうか? 五七五調とか、「タータカ・タータカ・タータカ・タン」みたいな‥

民話特有の韻律があるかどうかはわからないです。すみません。
ただ、ペルシャ語世界で長らく親しまれてきた11世紀の民族叙事詩『王書(シャーナーメ)』(フェルドウスィー著)では、「タ・タン・タン、タ・タン・タン、タ・タン・タン、タ・タン」という韻律が使われています。ペルシャ詩の韻律は、五七五のような音の「数」ではなく、音の「量」で決まる複雑なものですが、『王書』はほぼこのリズムで5万行が詠われました。語りが得意な人はこの叙事詩の有名なくだりを、リズムにのせて朗々と語ります。それを昔話の語りに含めるとすれば、このリズムはよく知られているものの一つといえるかもしれません。

昔話が極端に少ない国や地域はあるのでしょうか。アラブ地域ではあまり昔話がないように(あっても辿るとトルコのものだったりする)思いますがいかがでしょうか。

アラブやトルコは専門ではないのではっきりしたことは言えませんが、昔話が極端に少ない地域がある、というような話は今のところ聞いたことがありません。アラビア語の世界にはまさに『アラビアンナイト』がありますし…とはいえ、そういった様々なお話がどこで生まれたのかというのは、とても難しい問題ですね。フォーラムでも話がでましたが、複数の土地にある似たようなお話が、それぞれ単独に発生したものなのか、伝播したものなのか…どちらの可能性もあると思います。こうした関心をより深めていくためにも、ペルシャ語はもちろん、アラビア語やトルコ語の物語も様々な形で日本に紹介されるといいなと思います。

【長野徹氏】

さきほどイタリアの部で長野先生が、「異類婚姻譚」について触れられていました。西洋の異類婚姻譚は日本のものとは性質が違ったりするのでしょうか? それとも同じようなものでしょうか。

日本の異類婚姻譚では、自然の中からやってきた動物(異類)が人間と結婚したのち、正体がばれて自ら去っていったり、追放されたり人間の手で殺されたりするような話が多いのに対して、一般に西洋の異類婚姻譚では、動物(あるいは怪物)の姿をしているのは魔法にかけられた人間で、最後は人間の姿に戻ってハッピーエンドで終わる話が多いです。タブーを破ったために異類の夫に去られた妻が夫を探す旅に出て、きびしい試練を乗り越えたのちに再会し、そのとき魔法が解けるというパターンもよくあります。

ビアンカベッラは何歳くらいからを読者対象としている作品なのでしょうか。 けっこう、難しいテーマのように思えます。

「ビアンカベッラ」が収録されている『愉しき夜』は大人向けの説話物語集ですので、文体や(個々の作品にもよりますが)内容面で子ども向きでないところもあります。ある程度大人向けの文学にも親しむようになってから、つまり中高校生からだと思います。

【木村有子氏】

チェコの昔話集がクリスマスにおくられているとのことですが、日本でよく言われている本離れなどはあまり感じませんか?

チェコの人は読書家が多く、子どもの本の出版も盛んです。私がお会いするチェコの子どもの本関係者から、本離れを嘆く話というのは、ほとんど聞いたことがありません。日本語ができるチェコの友人の家に昨年行ったとき、小学校4年生ぐらいの娘さんが、家にあった拙訳の『こいぬとこねこのおかしな話』を、ゆっくり声に出して読んでくれました。アプリで日本語を独学したそうで、ひらがなを読めるようになっていたので、私だけでなく親もびっくりしていました!

「火の鳥ときつねのリシカ」楽しく拝読しています。この本に取り上げられたお話には、波乱万丈で二転、三転するお話が多いように感じましたが、チェコの昔話の特徴なのでしょうか?

確かにドラマチックな展開の話がたくさんあります。ほのぼのした話も、もちろんあるのですが、アニメーションや映画にできるような話の構成がしっかりした話が多いと思います。

ヴォドニークの水の底、絵本ではおばあさんになっていましたが、水の精は男の人では?

どの絵本か、題名が書いていないのでわかりませんが、チェコの水の精は、男の人です。直訳すると、ヴォドニークは「水の人」で、男性名詞です。昔話や伝説なので、違う国に伝わる似たような水の精のお話なのか、伝説をもとに創作されたお話なのかもしれませんね。チェコでも、ヴォドニークの登場する創作話もあります。

【柴なほ氏】

「方言があまりない」とのことですが、つまり地方による言葉の差異があまりない、ということでしょうか?自然は豊かな地方色があるようなので、不思議な気がします。なにか要因があるのでしょうか?

実際にはドナウ川など大きな河川を隔てた地域や、セーケイ地方などエスニック・グループの居住地に方言のグループが存在します。また、それらの地方の昔話集やバラード集には、方言の語彙集がつけられていることがあります。私は言語の専門ではないため詳しいことはわかりませんが、ハンガリー語は、いくつかの地方に、方言としてなんらかの差異はみとめられる、ととらえたほうがよいかもしれません。

ハンガリーのお話には、「ものいうぶどう、わらうりんご、ひびくもも」がありますが、ぶどう、りんご、ももは、よく出てくるのでしょうか。

ぶどうは農夫とぶどう畑にまつわる話、りんごは婿選びのモチーフとして、それぞれハンガリーの昔話にもよくみられます。それに比べ、もものモチーフはやや少ないのではないかと思います。ご質問にある話は、ベネデク・エレクの一般向けの昔話集にある魔術譚ですが、彼の別の昔話集の「靴を履きつぶす王女たち」という魔術譚には「銅のりんご、銀のなし、金のプラム」が登場します。この話はオルトゥタイ編、徳永康元ほか編訳『ハンガリー民話集』(岩波書店)にも収められています。

ハンガリーで女の子につける名前、アウレリエ、アルゼンティーネ、ディアマンテーネは、日本人でいう花子、淳子、、、などのような感じにとらえていいのでしょうか。

女性名アウレリエはハンガリーではアウレーリアになります。最近ではあまりみられず、やや古い名前のようです。アルゼンティーネ、ディアマンティーネも、ハンガリーの女性名ではないとおもわれますが、詳しいことはわかりませんでした。

【かみやにじ氏】

日本語に訳されるときに基本的には共通語で訳されることが多いのではないかと思います。方言(例えば関西弁)を用いて訳されることはありますか?訳される際の日本語について、お考えがあれば教えてください。

田舎っぽい言葉に訳したほうがいいだろうな、という場合はあります。が、私自身が、特定地域の方言のネイティブ話者でないため、どこかにありそうな、でもどこにもないような、いなか風の言葉にすることはあります。最近出た岩波書店の『台湾の少年』という漫画を読みましたが、台湾語を訳者の故郷の言葉である香川弁に、北京の標準語を日本語の標準語に訳し分けていたのは、たいへん見事だなと思いました。日本のどこか特定の地域の方言に訳すと、日本の地域の色がついてしまい、韓国色が失せてしまわないかと心配になります。ネイティブの方言話者であれば、そのへんの加減が自在にできるのではないでしょうか。私にはネイティブの方言がないので、それは、とても残念なことです。

同じ昔話でも様々なストーリーのバリエーションがあるというおはなしでしたが、日本で翻訳版を出版される際に、どのバージョンを採用するか?に関しては、何かこだわっている点などはありますでしょうか?

どの版を採用するかは、かなり慎重に選定します。決めては、出版社の姿勢や「編者」の方針ですね。また、韓国での評価など総合的に。

昔話は根源的な普遍の人間のあり方が表れているのですね。法律により権利の獲得で道徳が守られたり、進化を経て、人類や動物が仲良く暮らしていける地球の未来が昔話からも学べるような気がいたしました。
ひとつ、美しい自然と昔話のかかわりでお気づきのことはありますか?

かつては、植物や動物、自然界のいろんなものたちと、人間は対話しながら生きてきたのだと思います。動物や植物が人間の言葉を話すのは、今の常識で考えればおかしなことですが、かつては、人間と、ほんとうに言葉を交わしていたのではないのかなと思います。(今だって、犬、猫、牛、馬などと人間は対話しますよね。)また、天女やトッケビなど、目には見えなくても、たしかな「気配」を感じていて、やはり人間は対話していたんではないかな、と思います。昔話を読んでいると、人間は、大きな自然界の中で、ほかの多くの者たちといっしょに暮らしているメンバーなんだなって思いがしますね。

【さくまゆみこ氏】

日本語に訳されるときに基本的には共通語で訳されることが多いのではないかと思います。方言(例えば関西弁)を用いて訳されることはありますか?訳される際の日本語について、お考えがあれば教えてください。

私は東京生まれ東京育ちなので、方言が得意ではありません。なので、昔話に限らず方言で訳そうとはあまり思ったことがありません。ただし原文が標準語と方言の両方を使って書かれていて、そこに意味があった場合は、日本語でも方言を使うことになると思いますが、その場合は、方言を母語としている人に監修していただくことになると思います。ただ、日本の子どもは日本語の方言それぞれに決まったイメージを持ってしまっているので、話の本筋よりそっちに気を取られることもあるかもしれません。

同じ昔話でも様々なストーリーのバリエーションがあるというおはなしでしたが、日本で翻訳版を出版される際に、どのバージョンを採用するか?に関しては、何かこだわっている点などはありますでしょうか?

一つの昔話に様々なバージョンがある場合だと、日本の子どもがおもしろいと思うだろうバージョンを訳すことになります。絵本になっているものであれば、すぐれた絵がついているものになります。

昔話は根源的な普遍の人間のあり方が表れているのですね。法律により権利の獲得で道徳が守られたり、進化を経て、人類や動物が仲良く暮らしていける地球の未来が昔話からも学べるような気がいたしました。
ひとつ、美しい自然と昔話のかかわりでお気づきのことはありますか?

自然が豊かでない場所でも都市伝説のようなものが生まれて、それが語り伝えられていくことはあると思いますが、自然の中で生きていく知恵とか、ほかの動物とのかかわりといった要素はそこには入ってこないでしょうね。