4月2日は、国際子どもの本の日です。

スロベニアのオリジナルポスター

日本語版ポスター

国際子どもの本の日

童話作家アンデルセンの誕生日(4月2日)は、「国際子どもの本の日」です。子どもに本のよろこびを、大人にも子どもの本のおもしろさをつたえるため、1967年、IBBY(国際児童図書評議会)によって定められました。世界中で子どもと本のお祭りがひらかれます。

IBBYに加盟する支部は、この日にあわせて順番に、記念のポスターとメッセージを作成し世界じゅうに発信します。2020年は、スロベニア支部が担当しました。スロベニアの国際アンデルセン賞・作家賞候補のペテル・スヴェティーナと、同じく画家賞候補のダミャン・ステパンチチのコンビが、メッセージとポスターを描きあげました。

日本では、毎年、JBBY(日本国際児童図書評議会)が、ポスターとメッセージの日本語版を作成し、全国の図書館や関係各所に送っています。
  

2020年 国際子どもの本の日・スロベニアからのメッセージ
言葉に飢えるということ

文: ペテル・スヴェティーナ (スロベニア語)
日本語訳:こだまともこ 
(イェルネイ・ジュパニッチが英訳したものを日本語に翻訳)

 わたしの住んでいるところでは、4月のおわりか5月のはじめになると、林がいっせいに緑に染まり、やがて木々の枝に繭がつきます。まるで綿のかたまりや、綿菓子で飾られているように見えますが、そのうちに繭から生まれた幼虫が若葉をつぎつぎにむさぼり、林はすっかり裸にされてしまいます。そして幼虫は大人になり、林を飛びたっていきます。けれども、林はけっして滅びたりしません。夏の訪れとともに、林はまた緑をとりもどします。来る年も、来る年も、変わることなく。
 この林の光景は、作家を描いた絵のようでもあり、詩人を描いた絵のようでもあります。作家や詩人は、自らの綴る物語や詩に余すところなく食いつくされ、からからになるまでしぼりとられます。いっぽう、完成した物語や詩は飛びたってゆき、本のなかにおさまって、読んでくれる人たちを探します。これが、何度も何度もくりかえされるのです。
 さて、こうして舞っていった物語や詩によって、どんなことが起こるのでしょう?
 わたしは、目の手術を受けた少年を知っています。手術のあと2週間、少年は身体の右側を下にして眠ることしか許されませんでした。そのあと1か月のあいだは、なにも読んではいけないといわれました。1か月半たって、やっと1冊の本を手にしたとき、少年はお椀に入った言葉をスプーンですくいとっているような気がしたといいます。まさに言葉を食べているように。むさぼっているように。
 また、大人になって教師になった少女も知っています。彼女の話によると、親に本を読んでもらった経験のない子どもたちは、どこか活力や生命力に欠けているとか。
 詩や物語の言葉は、食べ物です。胃袋を満たし、体を養う食べ物ではありません。心を満たし、魂を養う食べ物なのです。
 空腹や渇きに苦しむと、胃袋が締めつけられ、口がからからに乾きます。そして、なにか食べるものを、お椀にはいったご飯やトウモロコシ、魚やバナナでもいいから探します。飢えがひどくなればなるほど、視野が狭くなり、空腹を満たしてくれる食べ物以外は、なにも目に入らなくなります。
 いっぽう言葉に飢えているときは、ちがいます。空腹やのどの渇きはおぼえませんが、気持ちが暗くなったり、忘れっぽくなったり、傲慢になったりするのです。こういうひとたちは、自分の魂が身震いするほど凍えていることや、みずからの姿に目をとめることなく日々を送っていることに気づいていません。まわりの世界の一部が、知らぬまに逃げ去ってしまっていることも。
 こういう飢えを癒してくれるのは、物語や詩です。
 けれども、言葉を腹いっぱい食べた経験のないひとたちが、こういった飢えを癒したりできるものでしょうか?
 はい、できるのです。目の手術を受けた少年は、毎日のように本を読んでいます。教師になった少女は、子どもたちに物語を読みきかせています。金曜日がくるたび、毎週かかさずに。忘れようものなら、かならず子どもたちが教えてくれるそうです。
 そして、作家や詩人は? 夏がやってくると、作家や詩人は、ふたたび緑の葉を茂らせます。そして、めぐりくる春には、また自分の作った物語や詩にすっかり食いつくされますが、物語や詩は舞いあがって、あらゆる方向に飛びさってゆくのです。くりかえし、くりかえし。

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